2008年8月2日(土曜日)~3日(日曜日)
参加者11名 2日間延べ人数21人
1年目、20年目、80年目の植林地を見学。山道を歩くと山の気を感じ、都会と違う時間の流れを感じる。木曽川支流の柿其(カキゾレ)渓谷の流れに足をつけてボーとしていると、一瞬時間が止まったようだ。ゆっくりと見学した妻籠宿と共に大事な「なにか」が垣間見えたような気がした。
木曾では植林した木が材木として使えるようになるのに60~80年かかるそうだ。つまり、おじいさんが植えた木を孫がようやく使うようになるということだ。早く、安く、という現在の駆け足型経済とは正反対だ。
樹齢300年のヒノキを帯鋸で引くところを製材所で見学、引き終わるとパッとヒノキの匂いが立ち込める。人間は木の命を頂いて、家を建てるのだと瞬間思う。
江戸と京を結ぶ中山道と伊那道の交差する交通の要としてさかえた妻籠宿。山深い木曽の渓谷沿いにたたずんでいた。時代が変わり衰退してしまった宿場だが、町並み保存運動から、生活しながら江戸時代の町並みを守り続け、少しずつ輝きを取り戻している。
宿場町は意外と大きく、60棟ほどが軒を連ねていました。京都の様に狭い間口で隙間無く建っているのではなく、建物の幅が7~8間有るのでゆったりしている。
建物のつくりも低い軒下と格子の町屋造りだけでなく、妻側を正面にした信州の本棟造りが混ざり、一辺倒でないおおらかさを感じる。
建物の脇や前の水路付近の植生も豊かで、緑濃い山が背景になり、自然と風土が一つになっている。曲がりくねった道は、山あいに宿場を作った為だけでなく、防御の構えでもあった。どちらにせよ歩いていると、高低差とともに楽しい変化を感じる。
日も沈みだし、観光客もまばらになると、町の人が水を打った。淡彩の景となった妻籠宿は、急に時を戻し、山間の闇の中に没入した。
夕食は料亭音吉で、数え切れない程の地産の野菜料理とヤマメ塩焼き等の美食を堪能した。後は、富貴の湯の露天風呂で汗をながしてから、大きな民家に宿泊した。渓流の音を聞き、星をみながらお酒を酌み交わし、夜のふけるまで語り明かした。
朝ごはんは宿のおばあちゃんの手作りの芋の煮っ転がし、山菜の漬物の数々が並ぶ。本当にうまい。元気に出発。
柴原さんの案内で、植林直後と20年経過した山を見学。周りの60年~300年の山と見くらべると、植林が長い年月で計画されることを実感する。経済成長の急カーブで自然環境が破壊された様に、山も急激な経済変化にとりのこされた。
時代に合わないからといって、人が生きるために築いた循環システムの山や棚田が死んでいくのを見ているだけでよいのか?現場をみると強い懸念を感じる。
南木曾の戻って南木曽木材産業で製材の様子を見学。柴原さんの熟練の技で樹齢300年の桧の大木が製材された。
他の地で50年で育つ桧が山深い南木曾では80年掛かること。同じ桧でも産地によってまるで違う表情と質になることも教わった。木曾のヒノキは木目がつんでいて、お土産に買ったまないたでよく分かった。
南木曽木材産業の製材を見学してから、木曽川支流の柿其渓谷に行く。
丁度、村の夏祭りに遭遇し、竹とんぼ飛ばし競争を見る。
渓谷の澄み切った川の中にいると、ただただ水が流れていくのが心地よい。
帰りの車中の窓から山が次々と流れていくのをぼんやりみていると、目の前にある緑
豊かな山は過去の遺産で、未来の山をつくっていない病んだ私達の現代社会はどうなる?複雑な気がした。