大正期(1912年〜1926年)
『現代の住宅や庭園にも大きな影響を及ぼしているさまざまな動きが具体化し、姿を見せはじめた時代』
<庭の変化>
・洋風化−在来の和風住宅に対する批判から、洋風の住まい方を広く普及しようという住宅改善・改良運動が起こり、文化住宅が生まれた。
・小規模化
・実用化−生活改善同盟による庭園改善意見などに見られる、庭を家族の生活空間とする考え方に基づくもの。
・郊外化−関東大震災(大正12年)を契機に「田園都市」や「郊外住宅」が次々とつくられ、それにふさわしい外囲いとして生垣が広く普及した。<生垣の変化>
江戸以来の旧市街地の屋敷
・・・外周部の囲いは、筑地石、石塀、れんが等の構造物、常緑樹の樹林
(スダジイが中心の防火を考慮したもの)で構成されていた。
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郊外に立地するサラリーマン層(中流階級)の分譲住宅
・・・より安価で郊外に相応しい木塀や生垣が採用された。
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街並:生垣の続く道路景観を作り出した。
庭の内部:生活空間としての庭の背景となる生垣の重要性を高めた。《例》田園調布、成城:
街並をつくるルール(住民の紳士協定。「塀を作らず低い生垣とし、外から庭を見られるようにする」「コンクリート又は大谷石の土留の上に芝の土手とし、小樹木又は生垣を植える」等)によって、街並を作り守ってきた。
1970年代半ば〜
『ニュータウンにおける街づくりや街並計画』
生垣による街づくりのストーリー(*)が作られ、生垣がほとんど街路樹と同様の公共的な役割を荷わされることになった。
(*・・・緑豊かな街並景観づくり、道路から庭の中を隠し、プライバシーを保つ、住宅地の環境改善)
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・きわめて形骸化した庭と生垣を大量に生み出した。
・生垣を街並景観を構成する緑の一要素として捉え、庭のデザインや植栽の設計から切り離した。
1990年代〜現代
『ガーデニングの普及』
街並(特に新しい住宅地)から生垣が無くなり、花の色彩があふれるようになった。
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生垣の「道路側からの目隠しや境界の仕切り」としての機能が重要性を失い、ようやく庭全体のデザインの中に生垣も帰って来た、と考えることもできる。
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何となく設計していた生垣という植栽手法を明確な意志のもとで再生させなければならない時代に私たちは立ち会っている。
これから・・・
・改めて生垣をどのような場所で、何のために、どの位の仕様で作るか、そして樹種は何が最も相応しいか考えなければならない。
・庭の設計、デザインを行う造園家やガーデンデザイナーの意識変革も強く求められる。